2020年の振り返り「無理に頑張ることをやめた&自分の意思を通す事は大切と学んだ」

※サムネイル、見てお気づきだと思いますがとってもちんちくりんな手をしています。赤ちゃんのような手に指輪で変な感じですが、気にしないでください(笑)
ブログ漁りをしていたら、年末ということもあり色々な人が「2020年の振り返り」をしていたので私も書こうと思います。
振り返りの記事をみるだけで、その人が何にフォーカスして生きているのかとか、今何をして生きているのかがわかるので面白いと思っています。
というわけで、前半部分で大きな出来事をまとめて、後半で月ごとの細々とした出来事をメモ程度に書いてみようと思います。そして最後に、気持ち的な部分での振り返りをしています。
2020年2月22日に入籍
私の今年の最大イベントといえば、これです。大学生時代から付き合っていた彼氏と結婚しました。付き合ってから、約4年で入籍でした。
彼氏とは大学卒業後は遠距離恋愛をしており、約3年離れ離れでした。そんな彼氏と、なんだかんだ一緒になれて良かったです。大学からの遠距離なんて、よく別れるって言うので。
1年を振り返ると、これが一番嬉しいことだったかと思います。
3月末に仕事を辞める
結婚にともない、マレーシアに移住となっていたため仕事をやめました。
実は、2019年11月に「来年早い段階でやめさせて欲しい」と社長に伝えてから険悪な態度を取られるようになり、辞めるまでの数ヶ月しんどい思いをしました。仕事も夏まではやめさせないなんてことまで言われていて、長いこと辞める日付の交渉をがんばっていました。仕事最終日、そんな心労や、引き継ぎが大変すぎたり、コロナでマレーシアへの入国ができなくなったことが重なってしまい泣きちらしました。大変でした。
お疲れ様私。
マレーシアへ移住&旦那との生活がスタート
3月の中旬にすでに、マレーシアはロックダウンをしており、入国ができなくなりました。
ずーっと泣いたり、ふてくされて家で死んだように過ごしていました。
やっとこさ渡航できたのは7月末でした。入国本当にドタバタで、条件とかビザの降りたタイミングがギリギリで、渡航日が決まったのは渡航の2日前でした。徹夜で荷造りして、朝一で飛行機にのって東京に移動してパスポートを受け取って、次の日マレーシアに飛ぶというバタバタ具合。
今度、前のブログで書いていた、「入国までのどたばた」をこっちにも持ってこようと思います。
渡航が決まってから入国まで、心臓がはちきれんばかりに歩き回ったり、慣れない東京の電車を乗ったり大変だったけど、今となってはいい思い出です。むしろ楽しかった。
マレーシアの生活、コロナのせいで全然満喫できていませんが、その中でできることをこれからも模索しながら、時々落ち込みながら、楽しんで行けたらなぁと思います。
1年を月ごとで振り返る
ここからは、ほとんど記憶がないのでGooglePhotoなどを見ながら今年1年を月ごとに細かく振り返ってみたいと思います。
1月
- 年始の1日はいつも通り親戚の集まり
- でも1月3日から5日は彼氏(のちに旦那)と博多駅で宿泊
- 彼氏と博多駅のイルミネーションをバックに変な顔をして写っている写真がたくさん
- 仕事を辞める時期で会社と揉めてた(社長が威圧的で、仕事辞めるまで半年はいろと言われていて交渉大変だった。)
- マレーシア行きの航空券を一生懸命調べていた(彼氏と結婚して、仕事辞めてマレーシアに3月か4月に行く予定だったので)
- 昔やっていたモンスターファームのアプリを購入し、iPhoneに入れた。でも思い出補正で楽しかっただけで、大人になってプレイすると楽しくなくて放置。
- 1月末、彼氏のご両親とご対面。彼氏はマレーシアにいたため、私と私の母で会いに行った。(2019年の年末に彼氏の実家にて挨拶した)
2月
- コロナがじわじわと迫ってきて、少し危険な雰囲気が漂い始める
- 2月22日入籍で、彼氏がマレーシアから福岡に来る予定だったけど、コロナ怖いからどうしようと悩んでいたが、日本にきてくれた
- 3月末に仕事を辞めれるようになったため、それに向けて仕事を頑張る日々
- 左の奥歯を抜いた。ほっぺの内側を噛むようになってしまった。右とのバランスが悪くなった。ぴえん
- コロナで海外渡航が禁止になるような気がしてきた
- 入籍祝いをいとこのお母さんがしてくれた
3月
- 入籍にうかれすぎてて、マレーシアのビザ申請に必要な書類が足りず、仕事合間に市役所いったりバタバタな日があった
- ビザの申請をする日の前日、マレーシアがロックダウンをすると発表し、入国がしばらくできない感じに。かなり絶望。でもビザの申請はなんとか出せた。
- 仕事の引き継ぎのためほぼほぼ毎日2時間以上の残業。大変な日々が続いていた。
- 私はロックダウン継続されるだろうと思っていたので、マレーシアに行く準備ができなくなった。辛い日々のスタート
- 3月末、無事退職。大変だった。最終日入国できない辛さと、退職までの交渉の日々を思い出して号泣。ご迷惑をおかけした…。
- おじじが車のミラーを電信柱にぶつけて壊れた
- 結婚指輪が届いた
- あつ森をはじめる
4月
- 自室のありとあらゆる物をひっくりかえし、持ち物を大整理
- あつ森にはまって、夜通しする日が多くなる
- 暇すぎて料理系のYouTubeチャンネルをはじめるも一瞬で挫折
- 日本にいるうちでいいからお金稼ぎたくで、WEB制作にまつわるのポートフォリオ作りを頑張り始める
- ソネングラスとかいうおしゃんなビン型ソーラーライトを購入
5月
- くっちゃねの生活を繰り返す。ゲームかWEBページ作り、YouTube鑑賞な日々。
- 人生で初めてチーズハットグを自分で作った。
- イラストを沢山描いてた。
- 3月末以降引きこもって一切外出してなかったけど、初まともな外出(食料購入には行ってたけど)
6月
- 昼夜逆転生活が続きすぎて寝ても覚めても体調不良に。
- 庭でバーベキューした。
- 数億年ぶりに海の中道マリンワールドに行った。
- 新しいMacbookProを購入。
- マレーシアの帯同ビザが降りた。(ここからソワソワな日々)
7月
- 愛犬が亡くなった(この子が最後でした。実家で飼っていた、たわんこが全員亡くなりました。もう二度と犬は飼えません。メンタルがつらい。)
- マレーシアの入国条件が変更になったことに伴い徹夜で渡航準備して、次の日の朝飛行機に乗って移動というバタバタを繰り広げる。
- マレーシア無事に入国、旦那と再会!自宅隔離をする。
8月
- マレーシアにて自宅隔離が終了、旦那が元気すぎて、週末は色々なところに連れていかれた。
- 隔離後最初の外食はチキンライス。(ケチャップライスじゃないやつ)
- マレーシアのご飯美味しくて、食べすぎて太ると思い、ジムに通い始める。
- GooglePhotoを見ていると結構な数の写真。本当に色々な所に連れて行ってもらった。
- 謎の頭痛が毎日のようにあり、大変だった。
- 海外の洗礼!下痢になる!3日間トイレとお友達!最終日には出血がありました!このせいでちょっと調子がわるい便が出るようになったら血が出るようになった。
9月
- 5時間ぐらいかけて、「ブイヨン」なるものを作ったが、お茶の味のする謎の粉が出来上がった。その後使うことなくポイ…。
- 9月も旦那に週末連れ回されました。こう考えると本当に色々なところに行くのが好きだな。
- 引越しに向けて、いくつかのコンドミニアムの内観をした。
10月
- 自分の誕生日の数日前から再びプチロックダウン(CMCO)
- 誕生日旅行ぽしゃる
- お家缶詰状態スタート
- 生理痛が重くてそれのためにピルを飲み始めたら力がはいらなくて生活できなくなったので断念する。
11月
- やっと生活に慣れてきたような気がした
- 9月に内観して決めていたコンドミニアムにお引越し。大変だった。
12月
- 1日、「BOX」をはじめる
手帳とか全部見返せば細かく言えばもっと色々ある気はしますが、後にみた時に「あーはいはい」と思い出せるぐらいはあるのでいいかなと。11月と12月は雑すぎですが、この辺りはプチロックダウンのせいで近所のモールぐらいしか行くこともなかったし、あとは引っ越したので、それの生活を整えるのでいっぱいだったというか。そんな感じでした。
人生の中で2020年は「無理に頑張ることをやめた年」だったと思う
ここからは自分の精神的な、メンタル的なお話しです。
大学卒業後から、夢を追いかけておじさんたちに罵倒されるような職場で働き、頭痛・めまい、ある時はプレッシャーなどでぐちゃぐちゃになり職場で吐いたこともあるけど頑張っていた仕事がありました。といっても限界でやめちゃったんですが。やめて絶望していました。もうあの仕事ができないなら、生きている価値がないと(大袈裟ですが、それくらい好きだった)。仕事内容は詳細語れませんが、イベントの裏方をしていました。罵倒されたり、飲み会で必ず説教されて泣かされたりなんてことがなければ最高に楽しい仕事だったと思います。あとは、自分の注意散漫なところとかがなければ。仕事をやめた後、本当にめっちゃ好きだった人に振られたような気持ちが1年以上は続きました。なんなら今でも、その時の苦しい気持ちを思い出します。
イベントの裏方をやめたあとは、彼氏にいつでもついていけるように、趣味だったWEB制作を仕事にしようと、職業訓練校に通ったり毎日毎日めちゃくちゃ勉強をしていました。そんな感じで頑張って、無事に次の就職先も決めて、「おっしゃバリバリ稼いでやる」なんて思っていたら、副業禁止だということを後でしったり、社長のやり方がどうにもこうにも気に食わなかったり。この会社絶対やめてやると思ってまたさらに、毎朝5時に起きて1時間新しいこと勉強したり、大学受験並に勉強しました。そんな感じで「頑張らないことは、自分の持ちうる時間を無駄にしている」という強迫概念的なものに追われながら生きていました。
そして、2020年、仕事やめて、コロナがはやって、マレーシアにきて、仕事がない生活になって、というか働きたくてもVISAの関係で働けないのと、もし働くならフルタイムでVISAの切り替えも必要で、でも今コロナで切り替えられない可能性もあるから下手に動けない…とかで、選択肢が「専業主婦」しかない状況に追い込まれて、辛い状況になりました。
資格、英語、プログラミングとかもっと勉強すれば?と言われそうですが、今年仕事やめてから、エンジンがかからなくなりました。あんな苦しい思いして、もやもやした気持ちを抱えたまま生きるより、私今専業主婦っていうことを除けばストレスフリーで、人生で最高に気楽に幸せに生きているではないかと。
だから、無理に何かを頑張らなくていいやと今年やっと思えるようになりました。大学時代、色々うまくいかなくて自分を責めていた自分が、ひとまず頑張らなくていいという選択を持つことができました。
将来、日本に帰った時復職できるように何かしなくちゃという気持ちもあるけど、自分的には頑張ってきたから、この辺でちょっと一休みしてみてもいいんじゃないかと。
そんなことを、今年は思えるようになりました。
今年を「無理に頑張ることをやめた年」と見出しをつけましたが、無理に頑張れない環境にもっていかれたって感じですかね。頑張りすぎてると旦那もストップをかけてくるので。
私は以前、精神科に通院していたこともあり、その疾患というか障害があまりまだ改善されていないので、マレーシアにいる間はなるべく悪化させず、落ち着いて過ごせればと思います。
マレーシアにいる間に、自己肯定感を普通レベルぐらいまで上げれたらいいなぁ。
あと、自分の意思を通すことの大切さも知った
文章を見返して、もう1つ思うことがありました。忘れてはいけないことを思い出しました。
仕事を止める時、社長が「夏まで働いてもらう」と言われ、止める日を提示せず、私の時間を奪おうとしていた時、上司の一人が「あなたの人生だから、何も1ヶ月後に辞めるって言ってるわけではないから、自分が辞めたい時期に辞めていいと思うよ」と言ってくれました。話をよく聞いてみると、過去辞めて行った人は全員そんな感じで、社長がなかなか辞めさせてくれなかったらしいです。半年から1年待たされた人がほとんどたっだとか。原因は後任がいないためです。後任がいないからって辞めれないのは、おかしいじゃないですか。会社が社内で回せる仕組みを作れていない証拠ですよね。人生背負ってくれるわけでもないのに、なんで引き止められなきゃいけないのか。ましてや結婚。仕事辞めさせてくれないのひどくないか?もし会社が1ヶ月でもはやく仕事辞めさせてくれてたら、3月にはマレーシアにいけていたかもしれないのに…。
だから、このいざこざがあって、もし次に仕事を辞める時半年待ってくれとか言われてもそれに従わないと決めました。今はある程度暇で時間もあるし、焦ることがないので、状況によっては半年待ってもいいかなんて思ってしまいそうですが、きっと何か理由があるから辞めるわけで。
職場にいるのが苦痛とか、次にしたいことがあるとか。だから、会社の都合をうんぬん言われても、私は自分の意思を通したいと思います。会社は人生を背負ってくれないから。
ちょっとまとまらない文章になりましたが、他人のことばかり気にしたり、圧に負けずに自分の意思を突き通すことは、自分を守ることになるということです。自分との約束を守る的な感じです。
ぐちゃぐちゃになりましたが、今年はそんな感じでした!将来の私よ、迷ったらちゃんと自分のしたいことを優先して人生の選択をしてください。後悔のないように!
以上です。