2021.02.08 はじめて一人でのタクシーと日本語通じない病院

ことのはじまりは、昨日の夕食中。
旦那が焼いてくれたとっておきの焼き鯖を食べていた時でした。
骨が…喉にクリーンヒット。要するに喉に魚の骨が、たぶん刺ささった。
骨が刺さるとか何年ぶりだろうか。たぶん4、5年とかもっとそれ以上だと思う。
まぁ、すぐ取れるだろうと思い、夕食後トッポを食べた。骨が取れた気がしてたが全く取れていなかった。相変わらず痛かった。
そのまま夜、寝るまで色々して、結局骨が取れなかった。
旦那とおやすみと言って各々の部屋に入ってから、ふいに自分で骨が取れないだろうかと思い、見てみることにした。
携帯のライトをつけ、右手に持ち、左手で鏡をもち、口をおもいっきり開け、ライトで口の中を照らすと…あった…!
口の右側の扁桃腺付近で肉に挟まっているような魚の骨が。
その後、一人で嗚咽を繰り返しながら綿棒、おはしを口に突っ込み骨を取る努力をした。
結果的に取れなくて、諦めて寝ることにした。
朝起きて、唾を飲み込むとまだ痛い。
ひとまずあさごはんたべるときに、お米を多めに口に入れて飲み込んで、取れることを祈ろうと思った。
お米、納豆、コロッケ、なんか骨を根こそぎ持っていってくれそうな朝食を食べた。
全く取れなかった。むしろなんか痛みが増したような…?
その後、旦那が病院に行き、出社。
ちょっと旦那もここ数日色々あり、食事に気を使わなくちゃいけなくなっていて、お昼は帰ってきて家で一緒にご飯を食べた。
お昼を食べた後、これから食事制限気をつけなくちゃいけないので、お弁当を作る必要があった。なので、近所のモールに行きお弁当箱や、お弁当の袋、必要なものを買い漁った。
帰ってきたのが確か、14時すぎぐらい。
まだ魚の骨はとれていないようで、喉が痛かった。
まだ、食材の買い出しが残っていたが、骨が気になって仕方なかったのでまた、鏡で骨の様子をみてみた。
すると、昨日は肉に挟まっている程度だった骨が、完全に喉に刺さり、刺さっていないほうの端っこがぴょーんと出ている感じになっていた。
これはやばいな…と思い、ネットでいろいろ調べた。
骨取らないままだとどうなるのか。
すると、最悪腫れて気道が塞がって…なんて書いてある文章を見つけた。
ここは異国、言語もうまく通じない、昼間は旦那がいない。
こういう時に一人、家でなんかあると非常に困る。
特に大事になってしまうととても困る。
なんかふと、「骨をこのままにしていてはまずい」という気持ちが高まった。
その瞬間から、日本語通訳がいる病院、日本人対応のある病院に連絡をとった。
いくつか連絡をとった結果、耳鼻科がある病院じゃないと喉の骨はとれないとのことだったので、旦那が今朝行った病院に行くことになった。
私にとっては初めての一人で、診察の時以外通訳がいない病院、初タクシー一人乗車。
めちゃくちゃ緊張してたけど、行く病院が「5分後に予約取ったのでなるはやできてください」とかわけわからないことを言うので、電話を切って3分で家を出てタクシーに乗った。
その間に旦那に連絡し、病院の受付方法や、必要な情報、どこにいけばいいのかなどをざーっと教えてもらった。
近い病院だったので、あっという間についた。
初の一人でのタクシー乗車は「緊張する」とか言ってられない間に終わった。
病院についたら、感染対策のアプリのスキャン、そして病院自体のフォームの記入、そこからロビーに移動して書類を何枚か書いて…という流れだった。
私の心境としては、なるはやで来てくれと言われているためすごく焦っていた。
結局、旦那に言われていた通り、受付だけで30分近く時間がかかった。
受付でもいくつか聞かれてわからないことや、英語が言葉として出てこなくてナーバスになった。
まず、時々こっちにきてからよく、書類に確か「race」、たぶん人種を書くことがあるけど、いつもわからない、謎なので書いていなかった。それを今回にかぎって突っ込まれて…ずっと”Japanese….?”と答えていて、カウンターの人に??という顔をされていた。
あと、緊急連絡先の旦那のことをきかれ、旦那の生年月日を教えてと言われて、またもや意味不明な数字を口走ってしまい、カウンターの人が困惑。紙を渡され、それに日付を書いて意思疎通をした。
ゴミ屑英語力。(笑)
旦那とは誕生日が似ているため、今思えば自分の誕生日の一部を言い換えればいい話だけど、やっぱり日常的に使わないと出てこないなと実感。
まじで恥ずかしい。ずっと数字連呼してた。Year is とか言って順番に言えばよかったのにひたすら数字。そりゃ通じらんわと。
そんな感じでカウンターの人を困らせながら受付をして、診察室のある別のロビーに向かった。
この病院広い広い。今までいった日本の病院よりも大きいところだった。所々年季は入っているものの、安心感のある病院だった。
診察室付近にきて、カルテを受付の人に渡し、ロビーで待機した。
診察に呼ばれるまでに、通訳の人に到着の連絡と、診察時の通訳をお願いした。
診察までに、血圧と体重測定があった。骨抜くだけなのに、それ必要?と思ったけど、おとなしく受けた。血圧は104、45ぐらいでとても低かった。
昔から低血圧って言われる私でも、思ったより低かった。
体重は、残念な感じだった。
そうこうしているうちに、診察に呼ばれ、通訳の方と一緒に診察室へ。
国籍がさっぱりわからない、ニコニコしたおじちゃんがお医者さんだった。
どうしたー?って言われて、骨がささったーって話をして、口の中をみてもらった。
口を見てもらう時、とんどもなく細長いカメラを口に入れようとしていたので、びっくりして念のため、「骨は口をあけても見えるよ…泣」と訴えた。奥まで入れられるかと思ってびっくりしたから言った。そしたら「大丈夫、奥まで入れない、そういうカメラだから安心して」と言われた。
安心して、口をあけ、嗚咽をしながら喉に刺さった骨の写真をとってもらい、位置と状態を確認。
確認後、すぐに抜くことに。
私は自分で自分の舌を出し、掴んで伸ばし、お医者さんがカメラとピンセットを口に入れて抜く感じだった。
抜くまでどれくらいかかったかわからない。たぶん30秒ぐらいで取れた。
ただ、その間ずっと嗚咽嗚咽嗚咽。目が涙でいっぱいになった。
骨が取れた時は、お医者さんが嬉しそうに見せてくれた。
結果的に2cmもいかない、1cmぐらい…?な魚の骨が取れた。
骨を取った後は、処方する薬の説明をされ、診察室を出された。
そのまま通訳の人が足早に今後すべきことの内容(どこで診察のお金を払うか、薬をもらうかなど)を説明し、通訳の人は次の通訳があるのかあっという間にどこかに行ってしまった。
そこから一人取り残され、骨が抜けてほっとしたのか、英語で名前を呼ばれたり、会話していると、病院の人の語気に圧倒されて、いつもの英語怖いモードに戻った。
怯えながら、次のアポイントメント、薬の説明をきいて、病院ですべきことを全て終えた。
家に帰ってしまおうかとも思っていたが、旦那のお弁当を作るための食材を買わなければいけなかったので、しんどい体のまま、またGrab(タクシー)を呼んで、今度はSuria KLCCに移動した。
タクシーに乗りながら、トイレに行きたいなぁとか、お腹減ったとか、気持ち悪いなぁと思っているうちに到着。
足早に食材と、夕ご飯を買い、帰宅。
時間は17時すぎだった。
家を出て、帰るまで、2〜3時間でしたが、どっと疲れがでました。
この日だけで初めてだらけのことをこなし、英語喋れないのに、英語かマレー語しか通じない病院に行き、かなり気疲れしました。
家に帰って、食材を冷蔵庫に入れた後はお弁当を食べました。
食べて食卓で気絶しそうなところに旦那が帰宅。
旦那が「がんばったねぇ」と笑顔で声をかけてくれた。
旦那も朝病院いって、そのまま仕事だったので大変だったのに、そう言ってくれる優しさに感謝した。
その後、旦那がご飯を食べている間、今日の出来事を共有。
ただただひたすら、旦那が褒めてくれた。
頑張ったねって。
絶対、タクシー乗れないし、病院いけないと思ってたって言われた。
なのによく頑張ったねって。
私も若干、躁っぽい状態が続いていたこともあったので、それでできただけかもしれませんが、一人でGrabにのれて、病院行けたのは大きかったと思います。
神様が「骨を喉にさして、小さいものでいいから一人で病院に行く経験をしろ」って試練を与えたのかな、なんて勝手に思いました。(こう言う時だけ無駄に神を信じる)
さて、ここからがまた大変だったのですが、私にはまだまだミッションがありました。
旦那の夕ご飯を作るというミッションが。
でも体が重くて動かず、旦那と喋った後はソファーに寝そべって気絶寸前でした。
旦那はそんな私を見て、作らなくていいよ、寝ときよ、と言うものの、私は作るよと主張。でも、起き上がれない。
そのうち、旦那に上半身をおこされて、シャツを脱がされ、足をあげてズボンを脱がされ、寝巻きのワンピースに着替えさせられた。
そして旦那にベットに行きよ連呼をされ、頑張ってベットに転がり込んだ。
そこから旦那と少し話したり、一人でベットに横たわり2時間ちょっとぐらい…気絶しそうな感じから復活して、普通に歩ける程度にはなった。
確かその時点で22時とかその前ぐらいだった。あまり覚えてないけど。
普通に歩けるようになった私は、今がチャンスだと思い、お弁当を作ることにした。
結果的に1時間の間に、4品作った。
豚と玉ねぎの生姜焼き炒め、卵焼き、無限ピーマンツナ、レンコンと人参の金平だ。
最後の方はもうほぼフラフラで、意識朦朧として作っていた。
歩けるようになったからと安心していたが、疲れが溜まっているのか、抗生物質を飲んだせいなのかなんなのか、フラフラと、手足に力が入らないのと、震えで大変だった。
でも、最後金平を作っていた時にそれがきたし、それさえ終わって、ご飯をお弁当箱に詰め込めば終わりだったので頑張っていた。
23時、旦那が友達と楽しくAPEXをし終えてキッチンにきて、フラフラな私を見て、私を座らせた。
いっぱい頑張ったね、ありがとう。ごめんね。
と言われた。
その後、お弁当作りに使ったフライパンなどを旦那が全て洗ってくれた。
もうその段階で本当に意識が飛びそうで飛ばない境目をいったりきたりして、一度座り込んだら立ち上がるのが大変だった。
なんとかお弁当を詰め終えて、旦那に見せて冷蔵庫に入れ、その足で自室に行き、ベットに倒れ込んだ。
眠いのか、きついのかよくわからないなかでモヤモヤしているうちに、洗い物を終えた旦那がきて、いっぱい言葉をかけてくれた。
どうやって寝たかはあんまり覚えていない。
気がついたら朝が来ていた。
これを書いているのは翌日の朝だが、今日も朝からフラフラで昨日の夜と変わらなくて、大変だった。
正直今もしんどい。でも、立ち上がらなければかなり意識ははっきりしている。
なので、これを書いた。初めて体験をたくさんしたので書き残したかった。
今日も窓の外は変わらなくて、いつものように綺麗な澄んだ青空。
色々先が見えない不透明で、体調も悪くて、自分でもコントロールできなくて大変だけど、なんとかやっていきたい。
ただ、今日も?またおやすみして、また明日から頑張りたい。
もし、このフラフラがなおらなかったら…また病院?やだな。
仕事辞めてから超絶不調ばっかりで、逆に言えば仕事してる間は気合で直したり、気合で耐えていた部分があったので、今は「辛い」を我慢しなくていいから辛い部分がたくさん出てるのかなんて思うけど、まぁそう考えてもよくわからないので、グルグル思考をここで一旦止めようと思う。
お疲れ自分。
おわり